権力と陰謀 あらすじ(4)


権力と陰謀 大統領の密室
第4回「不法侵入」
NHK総合 1978(昭和53)年7月23日(日)20時50分〜22時20分


 アンダーソンの葬儀でマーチンは久々にリンダと再会し、一夜をともにする。
 上院ではベネット・ローマンの妻の大使任命の公聴会が開かれ、マーチンからサリーを経由して得た情報をもとにジャック・アサートンはベネット・ローマンを追及する。事態がホワイトハウスに波及することを恐れたモンクトンは、マイロン・ダン、ブルースター・ペリーにロジャー・キャッスルを加えて善後策を協議する。その結果、SECに保管されているローマン関係の書類をマイロン・ダンの下の財務省に移管して捜査を封印することが決まり、SECではイーライ・マッギンの抗議をよそに証拠書類が運び出されてしまう*1。また、ベネット・ローマンを起訴するという司法長官をモンクトンは叱責し、起訴を取り消させる。
 アサートンに関する情報を得るためにFBIを訪れたロジャーは、エルマー・モースから、ベネット・ローマン関係の情報をサリー経由でアサートンに流したのはマーチンの可能性が高いと知らされる。ロジャーから報告を受けたモンクトンは、アサートンを叩き潰すことを命じ、マーチンに対しては大統領執務室まで呼び出した上で無視するという仕打ちで困惑させる。このローマンの件と、書類提出のサボタージュの件を受けて、モンクトンはマーチンの後任候補探しをタルフォードに指示する。


 マーチンはパーティーの席でテスラーから、大統領はローマンの件へのマーチンの関与を知っていると告げられる。マーチンは、ホワイトハウスとの緊張が高まったことに苛立ちをつのらせ、それをサリーにぶつける。その中で、サリーとアサートンが関係を持っているという疑いを口にして、サリーを怒らせる。サリーはマーチンの態度を非難し、アンダーソンの葬儀の際にマーチンがリンダと寝たことを追及する。マーチンとサリーの関係は急速に崩れ、マーチンはリンダのいる自宅を訪れる。


 ホワイトハウスでは、モンクトンに対してアリソンとタルフォードが、戦術核研究に関する情報漏洩源がカリー派=リベラル派の研究者ジョナサン・グリーンであることを報告する。これを受けてモンクトンは、「アカ」のグリーンを叩き潰すことを指示する。ロジャーは内国歳入庁に赴きグリーンの租税関係の粗探しを始める*2。アリソンとタルフォードは、ハーグランドとタロックにグリーンを貶める情報の入手を命じる。ハーグランド等はCIAから機材を借りだし、変装した上で、セントルイスの少年裁判所に侵入。ジョナサン・グリーンの過去の汚点を暴露するため、証拠書類を撮影する*3


 私邸でのモンクトン一行。ハンク・フェリスは「親しみやすい大統領」を演出するために、犬と共に浜辺を散歩するモンクトンの姿をマスコミに公開するが、背広を着込み革靴を履いたモンクトンが波打ち際を歩く姿に記者達は失笑を隠せない*4。ロジャーはバーで声をかけてきた女子大生とアバンチュールを楽しみハンクを羨ましがらせる。
 ワシントンD.C.へ向かうため飛行場に現れたモンクトンの大統領専用車に、反戦学生達が投石をする*5。モンクトンにも車にも当たらなかったが、タルフォードはこれを利用して大統領が大規模な投石を受けたように偽装するため、専用車にわざと傷をつけるようハンクに指示する。
 機中、フラハティは、大統領が戦争の拡大方針をテレビ演説で示すことになった*6とハンクに予告。ハンクはフラハティとタルフォードの下で、この演説に国民から支持が寄せられているよう偽装する作業に着手する。
 テレビ演説を聴いたポーラはアダムに向かってモンクトンへの怒りをぶつけるが、アダムは大統領職の重責を理由にモンクトンを擁護する。
 テレビ演説を切欠にワシントンには反戦デモが押し寄せようとしていた。モンクトンとスタッフは対応を協議し、力によってでも鎮圧することを決意する。


修正履歴:
 2016年6月5日修正
   ・マーチンとサリーの関係悪化についての記述を一部修正。
   ・その他数カ所修正。

*1:現実:前述(第3話参照)のとおり、妻の大使任命という点ではベネット・ローマンのモデルはジョージ・ファーカスであろう。しかし、ニクソンと親しいホテル・カジノチェーン経営の実業家が、資金移動や税務関係で捜査を受けるという点では、ロバート・ヴェスコがモデルになっていると思われる。ジョン・ミッチェルとモーリス・スタンズ(及びSEC議長ウィリアム・ケーシー)は、ロバート・ヴェスコに対するSECの捜査を妨害したとされる。

*2:現実:ニクソンとスタッフは、内国歳入庁(IRS)による調査を政敵の粗探しに利用していた。

*3:現実:ペンタゴン機密文書を暴露したダニエル・エルズバーグについて、鉛管工グループがその精神科医フィールディング宅に不法侵入したのは1971年9月3日。

*4:現実:実際に革靴姿で犬を連れてサン・クレメンテの浜辺を歩くニクソンの映像と写真が残されている。

*5:現実:1970年10月、中間選挙での遊説先のカリフォルニア州サンノゼで、ニクソンはデモ隊から投石を受けている。ニクソンはリムジンのボンネットに飛び乗りデモ隊に向けてダブル・Vサインをして挑発した。

*6:現実:ニクソンは1970年4月30日のテレビ演説でカンボジア侵攻を発表し国民の支持を求めた。