権力と陰謀 あらすじ(5)


権力と陰謀 大統領の密室
第5回「最後通告」
NHK総合 1978(昭和53)年7月30日(日)20時50分〜22時20分


 反戦デモ参加者であふれるワシントンD.C.*1。大統領執務室では怒り狂うモンクトンの命令下、フラハティとタルフォードが事態の収拾に当たる。騒ぎの中、カール・テスラーだけは超然としている。
 ジェニーのもとから電話で呼び出されたロジャー・キャッスルは、警察署で鎮圧を指揮する。そんなロジャーのもとを人権団体のシド・ゴールドが訪れ抗議するが、ロジャーはこれを聞き流し、催涙ガスの使用を指示する。催涙ガスを使った鎮圧の騒ぎにジェニーが巻き込まれ、イーライ・マッギンにより助け出される。
 モンクトンはFBIの働きが悪いと長官エルマー・モースを詰る。アリソンは軍司令官を恫喝し更なる軍の動員を約束させる。ウォルター・タロックはデモ隊中にサクラを送り込み、デモ隊が暴徒化したように演出させて*2捕縛のスピードを上げさせる。


 こうしてデモ隊は鎮圧され、大統領執務室ではモンクトンが側近達に法と秩序の勝利を宣言する。ハンク・フェリスは大統領支持の偽装工作などが評価され、マイロン・ダンの下*3の副責任者として大統領再選員会に転出するよう命じられる*4。さらに、「声なき多数派」による大統領支持のアピールとして、工場労働者がモンクトン支持の証としてヘルメットを贈るというセレモニーが企画される*5


 ロジャーはイーライの家に赴きジェニーを慰めるが、ジェニーの安全より仕事を優先する態度をイーライに非難される。アダム・ガーディナーの家では、妻ポーラが、戦争不拡大という公約に違反したこと、デモ隊鎮圧に強権的手法を用いたこと、テレビ局に圧力をかけポーラの番組を打ち切らせたこと等を挙げてモンクトンを非難する。これに対してアダムは悪いのは側近だとして更にモンクトンを庇い、二人の間の溝は深まる。
 大統領再選委員会で働くことになったハンクは、SECを訪れジェニーの同僚ワンダ・エリオットを再選委員会にリクルートする。後日、ハンクが再選委員会に出勤すると、ワンダが受付で出迎える。ハンクは有頂天で、アレックス・コフィーを部下に雇い、敵対陣営の選挙活動の攪乱を始める*6。そんなハンクのもとに、戦争拡大方針への支持の手紙や電報が偽装だと疑うウィズノフスキから電話が入るが、ハンクはこれを否定する。
 ロジャーはジェニーを休暇旅行に誘い、ジェニーの心はロジャーに戻ったかに見えた。しかし帰路の車中でロジャーはジェニーに仕事を優先したいので当面結婚する気はないと告げる。ジェニーは失望し、イーライを頼るようになる。ロジャーはタルフォードから、モンクトンは性道徳の乱れを嫌悪しスタッフの性的スキャンダルを恐れていること、主要スタッフで未婚なのはロジャーだけでモンクトンがそれを気にしていることを告げられ、一転、ジェニーに結婚を申し込む。しかし、ジェニーはイーライを選びロジャーの求婚を拒絶する。


 ブルースター・ペリーらによる献金獲得が露骨さを増す一方で、モンクトンはマイロン・ダンとフラハティを前に、再選のあかつきには憲法を改正して三選を果たすという野望を語り始める。


 ハンクはワンダとフロリダに不倫旅行に行くが、人目を気にしてホテルの部屋を出ようとせず、ワンダを失望させる。更に、ホワイトハウスに帰ってからは杜撰な仕事ぶりをフラハティや果てはジミー・バードにまで叱責される。自暴自棄になったハンクは、酔った勢いもあり、たまたまバーで会ったウィズノフスキに、大統領支持の手紙や電報は偽装だったことなどを打ち明けてしまう。ハンクの名前は出さないが記事にはするというウィズノフスキに大いに狼狽するハンク。ウィズノフスキに記事にしないよう懇願するが、ウィズノフスキはききいれず、翌朝の新聞にハンクの暴露が掲載されてしまう。大統領執務室に呼び出されたハンクは、自分が漏らしたとは言えず、モンクトンらに漏洩源を見つけ出すようきつく命じられる。


 サリーと破局したマーチンは、最終的にリンダのもとに戻り、ホワイトハウスからプリミラ・リポートの提出を命じられたことを明かす。


修正履歴:
 2013年2月9日修正
  ・数カ所の表現を修正

*1:現実:1970年4月30日のテレビ演説、及び5月4日のケント州立大学での学生射殺事件をうけて、1970年5月8日に大規模デモが組織された。この他にも、1969年11月、1971年5月など、大規模なデモが何度も行われている。

*2:現実:1971年5月の反戦デモの際に、ニクソンとホールドマンが、チャック・コルソンの手配によるデモ隊への攻撃や暴徒化演出の企てについて話題にしている。

*3:現実:ジョン・ミッチェルは1972年2月15日に司法長官を辞して大統領再選委員会の責任者の職に専念する。

*4:現実:マグルーダーがCREEPの副責任者になるのは、1972年春。

*5:現実:カンボジア侵攻テレビ演説後、ニクソン支持の労働者が反戦デモ隊を襲撃する事件なども起き、ニクソンは労働者代表をホワイトハウスに招いた。ニクソン回顧録には、閣議室のテーブルにヘルメットが並ぶ写真が掲載されている。

*6:現実:ドナルド・セグレッティが(マグルーダーではなく)ドワイト・チャピンの下で「汚いトリック」活動を始めるのは1971年9月頃。