尊厳死

テリ・シャイボさん問題。Yahoo!配信の西日本新聞さんの記事がよくまとめてくれています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050328-00000070-nnp-kyu
法的には「誰に決定権があるか」という問題になります。少なくとも大統領や宗教家ではないことは確かです。両親はどうか。夫はどうか。「本人の意思」を確認しうるのか。難しい問題です。
「よく生きる」という観点からは、10年以上も様々なチューブをつながれた状態で意識なしに「生きる」*1というのは、もしそれを他者により強制されるならば「よい生き方」とは言えないかもしれません。しかし、それでも生きたいと思う人はいるかもしれません。そう考えると、客観的に考える「よい生き方」は基準にならず、やはり前述の自己決定・本人の意思の問題になりますね。
意思を示せなくなる(または「意思」というものを持たなくなる)前に書面で意思を示しておくのが一番確実なのでしょう。しかし、それでもその解釈を巡って争いは生じえます。さらに言えば、書面に示された意思はその時点での意思であって、必ずしもそれが現在の意思とイコールであるとは言えません。その意味では確立した制度である「遺言」ですら法が作り出したフィクションなんですね。・・・家族(姻族も含めて)の仲が良くて、普段から意思の疎通がうまくいってるというのが一番なんですが。

*1:この場合には心臓が動いていることが、生命の究極的な形という理解になります。