自戒

 19日になって書いてます。16日の頃は体調がようやく戻りかけて、仕事しながら音楽聴いてました。そんで感じたことなどを。
 まず、「誰々の演奏は・・・である」って括ってしまうことの危険性。演奏家によって傾向はあります。だからこそ演奏家に対する好き嫌いというのが出てくるわけで。でも特に長生きした人って時期によって(あるいはどこの常任をしていたかとか、どの楽器を使っていたか等によって)演奏スタイルが変わる場合があって、そうすると何を以ってその人の演奏というのかは大きな問題です。カール・ベームカルロ・マリア・ジュリーニオットー・クレンペラーはそうですよね*1。あとフォン・カラヤンあたりも。チェリビダッケもそうか。ちなみにアーノンクールなんかはスタイルの変化というより「変節」ですわな。CD屋さんでゆっくりと棚を眺める機会があったんですが、アーノンクール指揮のブルックナー交響曲第5番などという、悪い冗談としか思えないCDが置いてあって(体調不良もあって)眩暈がしました*2アーノンクールはどうでもよくて、まあ、だから「ベームは田舎臭い」*3とか「クレンペラーは鈍重」とか、安易に断じてはいけないわけです。自戒せねば。こういう思い込みが一定程度あると、そこから外れた演奏に出会ったときに新鮮さを感じられるので良いかもしれんのですが、偏見はえてして食わず嫌いに繋がってしまうものです。
 それから、楽譜の版の問題。シューベルトのD944の大ハ長調交響曲*4ジュリーニ=シカゴ響の録音について、序奏部と主部のテンポ変化が伝統的な演奏と逆だと書いたわけですが、これってもしかして楽譜の版で違うんでしょうか。シューベルトに関しては確かベーレンライターから新しい全集が出てるんですよね。そこで何か記述の変化があるのかもしれません。そもそもシューベルトの楽譜ってシンプルだから、どうなのか見てみないとわかりませんが。今度楽譜屋さんに行ったら立読みしてみよう。録音でいうと、大ハ長調交響曲の比較的新しい録音はジュリーニとギーレンしか持っていませんで、インマゼールあたりの古楽系の演奏も買ってみたいと思っているんですが、未だに果たせず。

*1:長命でもスタイルが変わらない人もいて、私が考える代表格はストコフスキー!最晩年に至っても生命感の溢れる若々しい演奏ができた稀有の人。もちろんベーム辺りも最晩年にあっても調子が良ければ新鮮なモーツァルトを披露してくれたようなのですが。

*2:まあ、聴かずに文句言うのはそれこそ食わず嫌いですが、どう考えたってお金出して買いたいと思えないんですもの。ピエール・ブーレーズ変節漢と罵られることがありますが、アーノンクールに比べれば屁でもない。アーノンクールさんってば、目立ちたくて、メジャーになりたくて、あんな(1970〜80年代の)演奏してたんですか?

*3:最近立読みした鈴木淳史「私の嫌いなクラッシック」にカラヤンベーム、ヴァント、ラトルあたりのことがいろいろ書いてありました。ベームは確かに田舎臭いけど、そこが良いんですよ。

*4:何と呼べばいいのかいつも迷います。「ザ・グレート」じゃ売れないプロレスラーみたいだし、「第9番」なのか「第7番」なのか人によって違うし。