ブランドとニセモノ

 ブリーフケース買ったのとの関係も一寸あって、出張中に読んだ新聞記事で印象に残ってるのがありまして。


Yahoo!ニュース 毎日新聞2006年8月24日
<偽物商品>購入容認は45% 内閣府調査
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060824-00000104-mai-soci


内閣府 知的財産に関する特別世論調査(平成18年7月) 概要
http://www8.cao.go.jp/survey/tokubetu/h18/h18-chizai.pdf


 知財云々は措くとして、日本人にとって「ブランド」って何なんでしょうか?


 素朴な思考でいうと、ブランドネームやマークというのはそのブランドに属する商品や営業への「信用」を体現するもので、だからこそ価値を有しているわけです。品質への信用、機能への信用、アフターサービスへの信用等々。そこには(商品の種類にもよりますが)「末永く安心して使える」(修理をすれば2〜3世代受け継ぐことができる)だから「良い」という前提があるのではないでしょうか*1
 他方、ニセモノには、そうした信用から全面的に(或いは少なくとも部分的に)*2切り離されたマークしか存在しません。とすれば、ニセモノをそれと判って買った上で「正規品より安いから」「正規品にないデザインがあるから」といった理由でそれを正当化する人にとって、いったいブランドとは何を意味するのでしょうか?
 私には理解できません。


 少なくともブランド品も短いサイクルでの消費の対象でしかななり、「末永く安心して使える」という信用の裏付けは不要になったんでしょうかね。で、よく論じられるように、ステータスシンボルという部分だけが独り歩きしてしまっている。でも独り歩きを始めたシンボルは、その価値をどれだけ維持できるのでしょうか?
 ブランドの側の戦略は、知的財産権制度を用いて「ニセモノ」を排除し、シンボルと実体との相関を取り戻そうという点では一致しているようです。しかしその上でルイ・ヴィトン的に大衆化路線を採るのか、エルメス的に高級ブランド維持路線を採るのか、或いは別の道を行くのか、様々ですよね。何れにしても、消費者に「シンボルさえあれば(余りにも不恰好でなければ)良し」という層が少なくとも一定程度いるならば、知的財産権を振り回しても現実に「ニセモノ」の供給は無くならないでしょうし、そうなれば「真似されるのは本物に価値のある証拠」といった手塚治虫的な開き直りというか諦めというか、そういったロジックによって本物への関心を繋ぎとめていくことが必要になるのかもしれません。余裕がありゃいいけど、大変だなぁ・・・


 私もブランド信仰を持っています。どこかで親から「時計はセイコー、カメラはニコン」といった(古い)教義を刷り込まれて育ったと書いたとおりです。また例えばルイ・ヴィトンといったブランドについては自分では持っていませんが、知人が円筒形のトートみたいなのに重い荷物を詰め込んで毎日毎日使ってて5年も6年もびくともしなかったのを見てますから、「すげ〜っ」「機会があれば使ってみたいな」と思ってます。私には分不相応ですので実現はしてませんが。
 また、先日書いた「The Bridge」の話のように、マーク自体に対して製品の品質等からは一定程度離れた思い入れを持つこともあります。が、製品と全く分離しているわけではなく、ウン年前に買った財布が今も相方の手許で日々活躍しているのを目にしているからこその思い入れです。
 マークだけついた贋物をそれと知って購入するというのは、こうした信仰の延長線上にあるものなのでしょうか?


20060908追記:考えてみたけどどうもまとまらないので、とりあえずメモ

  • ヴェブレン以来論じられてきた「顕示的消費」は、少なくとも「それとわかるニセモノ」については成立しないですよね。でも精巧な贋物だったらありうるのかも・・・*3
  • 一つの解釈として「自分はニセモノなんて買いませんけど、そういう人がいるのは理解できます」という意味での回答なのかもしれません。直前の設問が「ニセモノ購入を見聞きしたことがあるか」だから、それと関連付けてだとすると、「自分のことじゃないけどね」ということになりそう。でもホントにそうだろうか?
  • もう一つの解釈として、「ニセモノ」というのが、例えば「権利処理していないキティちゃんの携帯ストラップ」みたいなセコいレベルを意味しているとか。あ、でも前提として提示される資料の中に「バッグや時計などの偽ブランド品や、海賊CD、映画のDVDなどの海賊版」って書いてある・・・

*1:例えばフランスの上流階層が「末永く安心して使える」という理由でエルメスを買うのかどうか、私は実際には知りませんので、あくまでイメージです。イメージで言えば、イギリス人はブランドに「末永く安心して使える」という価値を確かに見出しそうです。

*2:一口に「ニセモノ」と言っても色んなレベルがあるでしょう。世に言う「スーパーコピー」とか、下請工場からの不正規流出品といったものになると、特に後者などは品質という面での信用は一定程度備えていると言えるかもしれません。しかし、アフターサービスを受けることはできませんので、そうした信用の要素は欠けていることになるでしょう。なお、一般的な語感からすれば、この調査で用いられている「ニセモノ」という用語には、メーカーや販売店が「不正規品」と呼ぶことがある並行輸入品は含まれないと考えてよいでしょう。

*3:「正規品にはないデザイン」のヴィトンのバッグなんて見せびらかしてたら、いくら精巧でも見る人が見ればバレバレな感じですよね。私なんかは詳しくないんで判らないでしょうけど。上に挙げたスーパーコピーとか下請工場からの不正規流出品なら十分に「顕示」になるのかもしれません。