ロルツィングのザックス

 ロルツィング(Lortzing)の三幕の喜歌劇「ハンス・ザックス Hans Sachs」
  Ars Produktion FCD 368 420-21(輸入盤2枚組)


 ドレーマン指揮オスナブリュック交響楽団他で、タイトルロールを歌うのはウルリヒ・ヴァントという人です。2001年のライブを元に編集したCD。ローカルな劇場の雰囲気(?)が漂ってくる録音です。オスナブリュックは司教座の置かれた歴史ある都市で、現在は人口16万ほど。フォン・カラヤンが最初に楽長になったのはアーヘンでしたが、そこと同じような感じでしょう。そういう劇場の昔ながらのレパートリーがニコライ(「ウィンザーの陽気な女房達」など)やロルツィングなわけで。我々異邦人の目から見るとロルツィングなんて「ド」が付くマイナーということになりましょうか。
 音楽史的には19世紀半ばまでドイツで一般的な形式だった、台詞と音楽によって物語が進行するジングシュピールというやつですよね。おそらく作曲技術的にも音楽史的にもどちらかといえば陳腐な作品なのでしょうけど、喜劇として楽しく聴けますからそれでイイんです。たぶん。だってヴァーグナーなんか毎日聴いてたら変になりますって。他方でヴェーバーウェーバー)の例えば「魔弾の射手」ほど後に残るコクがないかな、というのは感じます。ちなみに年代的で並べるとモーツァルト(「魔笛」など)→ベートーヴェン(「フィデリオ」)/ヴェーバー→ロルツィング/ニコライときて、その後でドイツのオペラ界に革命を起こした(?)のがヴァーグナーということになります。


 この「ハンス・ザックス」というオペラはそのヴァーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の元ネタの一つにもなったとされています。中身はだいぶ異なりますけど。ヴァルターに相当する人物は現れず、金細工師シュテファン(「ニュルンベルクのマイスタージンガー」でのポーグナーに相当)の娘クーニグンデ(エーヴァに相当)と結婚を望むのはザックス自身です。第2幕の歌合戦ではシュテファンと市参事会員達の陰謀によりザックスは恋敵エオーバン(ベックメッサーに相当)に敗れ、ニュルンベルクを去ります。しかしザックスの徒弟ゲルク(ダーヴィトに相当)がシュテファンの姪コーデュラ(マクダレーナに相当)に披露するために勝手に拝借したザックスの詩が、偶然にも皇帝マクシミリアン1世の手に渡り、この詩を自分の作だと名乗り出たエオーバンは嘘が露顕して追放となり、逆にザックスの名誉は回復され、結婚も認められてメデタシメデタシ、となります。金細工師の娘を巡る恋の鞘当て、歌合戦、盗まれた詩といった要素はここに現れているわけです。目だって違う点は、騎士ヴァルターが登場しない点、そしてザックスの名誉回復が、ロルツィングでは皇帝の力によってなされるのに対して、ヴァーグナーでは民衆の判断によってなされるという点でしょうか。後者については、ヴァーグナーの方には、「(自分の)芸術は王侯貴族よりも上にあり、(ドイツの)民衆にその基盤がある」という彼の思想(というか理想)が現れているのでしょう。


 なおこのCD、130頁以上ある立派なリーフレットがついています。白黒ですが舞台写真も豊富。但し歌詞は対訳なしのドイツ語でしかも髭文字!(泣)
 そのリーフレットの最初にこんな趣旨のことが書いてあります。

スコアとパート譜は1940年にマックス・ロイ(Max Loy =指揮者・音楽学者)がナチのイデオロギーに沿って改編した形でしか存在していなかった。スコアの断片とピアノ譜を用いて指揮者エーリヒ・ヴァーグレヒナーがオリジナル版を復元したが、今回のオスナブリュックのプロダクションではフリーダー・ライニングハウスがさらに調査を行って、ロイによってカットされた他のパッセージをも取り入れている。
リーフレット11頁の大意)

リーフレットの中にさらに説明があるのですが、ドイツ語から正確に読み取るのは私の力では怪しいのでここに書くのは止めておきましょう。