権力と陰謀 あらすじ(3)


権力と陰謀 大統領の密室
第3回「盗聴指令」
NHK総合 1978(昭和53)年7月16日(日)20時50分〜22時20分


 モンクトンは、反戦運動に対して融和的な姿勢を示すために、リンカーン記念堂でピケを張る反戦学生のもとにアダム・ガーディナーを送り込む。アダムの報告を聴いたモンクトンは、自ら学生達を訪れるが、対話に失敗し野次の中を退散する羽目になりアダムを詰る*1。しかし、アダムは生真面目さを評価され新たに立ち上げられる大統領再選委員会*2の金庫番に任命される。


 モンクトンとタルフォードの意を受けたロジャーは、CIA長官マーチン、FBI長官エルマー・モース、そして内国安全保障局長官をホワイトハウスに呼び出し、危険分子への盗聴の実施の方針を伝える*3。これにはさしものエルマー・モースも「合衆国憲法を読んだことがあるのか?」とたじろぐ*4。マーチンは政権の行く末に危惧を抱き、前大統領アンダーソンの農場を訪れてワシントンの現状を報告する。


 そんな中、国家安全保障会議の機密文書(戦術核兵器使用の理論的研究)漏洩が発生*5、カール・テスラーは憤慨し、モンクトンに対策をとるように求める。アリソンとタルフォードは、私立探偵バスとサラシニに政府職員とウィズノフスキらマスコミ関係者との接触の有無を見張らせる一方で、更に元CIAのラース・ハーグランド、元軍諜報部員のウォルター・タロックを雇い、情報漏洩阻止のための違法工作に手を染めていく*6
 また、タルフォードは「カリー一派」を追い落とすための情報を求めて、FBIやCIAに関係書類の提出を要求する*7。CIAへの要求の中にはプリミラ・リポートが含まれていたが、マーチンと補佐官キャペルは当たり障りのない書類だけを渡すことでサボタージュしようとする。しかし、タルフォードはハーグランドと共に提出書類を検討し、マーチンのサボタージュの意図を見抜く。


 大統領再選委員会では、実業家ベネット・ローマンがブルースター・ペリーを訪れ、献金及び自分の所有のホテルでモンクトン支持集会を無料で開くことと引き換えに、自分の妻を大使にするという取引を持ちかける*8。ペリーとマイロン・ダンはこれを承認する。
 モンクトン自身も、私邸を安全確保の名目をもって公費で改修することを指示したり*9、政策関係の相談に訪れた商務長官を無碍に追い返したりする*10など、独善と腐敗の度を強める。


 ジェニーは自分の都合を押しつけるロジャー・キャッスルと喧嘩し、SECでの上司イーライ・マッギンに慰められる。しかしロジャーと別れることができない。
 アダムは妻ポーラの知人ウィズノフスキと食事を共にするが、ウィズノフスキを監視していたサラシニがこれをタルフォードに通報、翌朝アダムはフラハティにウィズノフスキに何を喋ったのかと詰問される。フラハティは更に、ポーラの担当する政治討論番組が左寄りだと非難し、教育番組として連邦が与えている予算補助を打ち切ろうとする*11


 マーチンとサリーの関係は本格化し、弁護士も同席して妻リンダとの離婚の話し合いが行われる。マーチンは、リンダが望む物は全て渡すと告げて席を立ってしまう。
 ある朝、サリーのもとをかつての愛人ジャック・アサートン上院議員が訪ねる。アサートンの所属する外交委員会がベネット・ローマンの妻アン=マリー・ローマンの大使任命を審査することなったが、アサートンはモンクトンによる売官を疑っている。そこで、アサートンはサリーにベネット・ローマン関係の何らかの不正の証拠をマーチンから入手するよう依頼する。サリーの頼みを受けてマーチンはサイモン・キャペルをバハマに派遣、ベネット・ローマンに関係するマネーロンダリングや不明朗な資金移動の証拠を発見する。そこにはモンクトンの名も現れていた。
 サリー宅でローマン関係の証拠を渡すマーチンのもとに、前大統領アンダーソン死去の報が入る*12。マーチンは大統領専用機に同乗してアンダーソンの葬儀に向かう。機中、マーチンはカール・テスラーとともにモンクトンと面会する。ギリシャでの政変について話そうとする二人を制したモンクトンは、大統領用の机と椅子がせり上がる仕組み(アンダーソンが作らせたという)を披露し、二人を見下ろしながら高笑いする*13

*1:現実:ニクソン反戦学生との対話は1970年5月9日。4月30日のカンボジア侵攻テレビ演説(第4話参照)、5月8日の大規模反戦デモ(第5話参照)の後。

*2:劇中では「PRC=Presidential Re-Election Committee」という名称。現実には「Committee to the Re-Election of the President」で略称「CRP」又は「CREEP」。

*3:現実:1970年6月5日、ニクソンはFBI、CIA、NSA=内国安全保障局、国防総省情報局のそれぞれの長を招集し、(ジョン・ディーンではなく)トム・ヒューストンのプランに従って諜報機関の活動を一元化する検討会議の発足を命じた(議長はフーバーFBI長官)。この検討会議では、合衆国への敵対勢力に対する盗聴、信書開封、家宅侵入捜査等の活動の可能性と実施態勢も検討項目とされていた。いわゆる「ヒューストン計画」である。

*4:現実:ヒューストン計画の盗聴等の違法活動については特にFBI長官J・エドガー・フーバーが激しく抵抗したため、ニクソンの意向は実現されなかった。こうしていわゆるヒューストン計画は潰え、トム・ヒューストンはホワイトハウスを去ることとなる。しかし、FBIは他方で、ニクソンとミッチェルが政府内部の情報漏洩源を突き止めるための政府職員やジャーナリストに対する盗聴を要請したときには、これに従っている。こうした活動を巡っては、自らが築き上げたFBIのイメージを守るためにニクソンを距離を置き始め消極的なフーバーと、積極的な副長官ウィリアム・サリバンとの確執もあったようである。

*5:現実:ペンタゴン・ペーパーズのニューヨーク・タイムズへの掲載は1971年6月13日から。

*6:現実:ハワード・ハント等の「鉛管工」「配管工」と呼ばれるグループの活動開始は1971年7月頃から。

*7:現実:1971年7月22日のコルソンからアーリックマンへの報告によれば、コルソンの下でハワード・ハントは、ケネディ元大統領を南ベトナム大統領ゴ・ジン・ジェム暗殺に結び付ける資料を集めていた。この資料を含むハントの文書は、ウォーターゲート事件後の1972年6月20日にジョン・ディーンによりホワイトハウスのハントの金庫から発見され、6月28日になってFBI長官代行パトリック・グレイに渡され、グレイは後にこれを破棄した。資料の詳しい内容は不明。また、ハントやコルソンによる資料の入手源も不明。

*8:現実:ニクソンは大使の地位に対して10万ドル程度の献金を要求していたという。具体的に、妻を大使につけるという点では、このエピソードはルース・ファーカスの駐ルクセンブルク大使(1973-1976)任命を下敷きにしている。彼女の夫ジョージ・ファーカスはニューヨークの百貨店アレクサンダーズの創設者で、ニクソンの再選活動に30万ドルの献金をしたとされる。上院外交委員会でフルブライト上院議員は彼女の任命に反対した。彼女の死亡記事:http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9F06E1D91730F931A15753C1A960958260

*9:現実:ニクソンを巡る様々なスキャンダルの一つに、私邸(カリフォルニア州サンクレメンテとフロリダ州キービスケーン)の改修への公費投入が挙げられる。

*10:現実:内務長官ウォルター・ヒッケルは1971年11月に解任されているが、政策面での対立と同時に、ハルデマンやアーリックマンに阻まれて閣僚が大統領と面会することもままならない状況を批判したことも一因とされる。

*11:現実:ホワイトハウスは、放送事業免許の更新拒否などをちらつかせて反ニクソン的な番組について放送局に圧力をかけていた。

*12:現実:リンドン・ジョンソンの死去は1973年1月22日。

*13:原作小説では、この飛行機の場面は、モンクトン対ギリーの大統領選挙中にエスカー・アンダーソンがギリーのための遊説に飛び回る機中で、アンダーソンによって演じられる。