禅語録

物欲の徒に成り下がっているので、「禅語録」世界の名著18(中央公論社・1978年)などを読んでみる。この本、これまで通して読みきったことがない。今回も半ば睡眠薬代わりで、既にだいぶ眠くなりつつある。更に言えば、読んでも何も理解できない。編者の柳田聖山師による「禅の歴史と語録」という70頁余りの巻頭解説が付いていて、これは何とか解った気になれるのだが。
例えばこんな感じ。

ある僧がたずねた、「先生は平生、修行者に鳥道(注:山なみの幾分か低くなっているところ。以下略)を行くことをお教えになっていますが、いったいどういうものが鳥道でしょうか」
先生、「誰にも出会わぬところ」
僧、「そんなところをどんなふうに行くのです」
先生、「そこを行くには足に靴をはいてはならん」
僧、「鳥道を行くというのは、いってみれば本来の面目ということでしょうか」
先生、「貴公はどうしてそんなにおおあわてをやるのだ」
僧、「どこでわたしがおおあわてをしました」
先生、「おおあわてをやらなければ、奴隷と主人と間違うことはあるまい」
僧、「どういうところが本来の面目でしょうか」
先生、「鳥道を行かぬことだ」
(本書361頁「洞山録」95節より)

実際はもう少し注がついていて、思考と観念を固定化してしまう誤りを説いているらしいのだが。
夏風邪にやられたみたいなので、寝ます。


注釈