病は気から

昔そんなことを言って物議を醸した総理大臣がいたような・・・
昨日の病院の待ち時間にタキトゥス年代記」を再開しました。順調に読み進んでいます。
読みつづけるのにネックになるのが人名の覚え難さと地理的状況のわかり難さなんですね。人名の方は同じような名前がたくさん出てきます。このアグリッパはどのアグリッパ?このユリアはどのユリア?って感じで。繰返し出てくる主要人物は嫌でも覚えますけど、執政官、法務官といったクラスは次から次へなんですね。でもこうした人達が陰謀の網の目に絡めとられて、昨日は告発者だったのが今日は罪人として弾劾されるという、君主制の下での人々の動揺を描くのが、この「年代記」の面白さの一つであるわけです。ということは、やはり適当に読み飛ばすのではなくじっくりいくべきですね。それと、間を空けずに一気に読むのも重要です。
地名についてはイタリア、ギリシア小アジア、オリエントはいいんですけど、ガリア・ゲルマニアそれにトラキア辺りになるとどこがどこやら。やっぱり何処だか理解した上で読みたいじゃないですか。これについては注やら巻末の地図やらあちこち捲りまくるしかありません。歴史地図の細かいのが欲しいですね。
さて、中身の方ですが、ティベリウスの次の代を担う人材として衆望を集めていたゲルマニクスがいよいよ死んでしまいます。その経過が面白くて、まあ派遣先の属州シリアで体調を崩したわけですが、かの地の総督グナエウス・ピソがこれに絡んできます。

ピソが毒を盛ったに違いないという確信は、ゲルマニクスの執念深い病根に、力をそえた。じじつ、彼の家の床土や壁の上に、墓穴から掘り出した屍の手足とか、呪文や呪詛、鉛板に刻まれたゲルマニクスの名前、濃汁のついた半焼きの遺骸など、地獄の神々に魂を捧げたと信じられている魔法使いのしわざが、あいついで発見された。(国原吉之助訳「年代記(上)」(岩波文庫・1981年)153〜154頁)

実際に毒を盛られたのかどうかは判らないんですね。でも心に毒を盛られて、それが病気からの回復を妨げて、ついには死に至るわけです。この辺の感覚ってのが例えば「源氏物語」辺りと共通ですよね。呪うというのはコッソリ行っても意味がなくて、相手に「誰かが自分を呪っている」ってのが伝わって初めて効果が発生すると。しかも精神的に打撃に弱いというか、精神生活の比重が大きいというか、心がそのまま身体に作用して、コロリと。夕顔なんてそうですよね。たった一晩の出来事ですよ。他には例えば柏木ですが、彼は呪われたわけじゃないですけど、源氏に嫌味を言われただけで気に病んで逝っちゃうわけですから。まあそれだけ痛いところを突かれたということなんでしょうけど。
本来人間て微妙なバランスの上で生きてるもんなんでしょうね。私なんぞも一旦バランスを崩すと回復するのが難しい方なんで痛感するんですが、それにしても現代人だけあって昔の人ほど敏感じゃないのかもしれません。