政治家キケロ(やっと)

 

政治家キケロ

政治家キケロ

いいところで中断していましたが、ようやく読み終えました。ポンペイウス-カエサル-クラッスス三頭政治カエサル没後のアントニウスとに君主政への萌芽を見出し、これに抵抗しようとする共和政擁護者としてのキケロ。しかしその立場は一貫せず、特に亡命からの帰国後は自らの拠って立つ閥族派への反発(追放=亡命を阻止してくれなかったから)も手伝ってポンペイウスを支持して後にはカエサルにもおもねり、内乱が勃発すると優柔不断な態度を見せ、カエサルが勝利するとこれに屈し・・・と良いことがありません。
著者のハビヒトのキケロへの評価をまとめると、決して日和見主義ではなく目的においては一貫していたが、
キケロをどう評価するか(裏返せばカエサルをどう評価するか)で難しいのは、共和政から君主政への政体の変化をどう評価するかなんですね。ヘーゲルモムゼン、そしてその流れを汲むドイツの歴史家達は、君主政への移行を当然の帰結(社会的変化がそれを欲していたから)と評価して、内乱を終結させて国家の分裂の危機を救ったカエサルを大政治家として扱い、ブルートゥスやキケロといったカエサル暗殺者を批判的な目で見るようです。これはハビヒトによれば、ヘーゲルモムゼンの当時のドイツの政治状況、すなわち分断状態から統一への機運が高まりプロイセンのヴィルヘルム1世とビスマルクの主導によりそれが成し遂げられるという流れを反映しているとされます。しかし、君主政が必然であったとしても、それが人間社会全体において必ずしもベストの選択ではないわけで、君主の恣意に怯えながら不自由に暮らすのを拒否して、共和政の持つ自由*1を擁護しようとしたキケロや小カトー(マルクス・ポルキウス・カトー)の立場は再評価されるべきだ、というのが政治家としてのキケロを考える際のキーストーンだということになりそうです。なお、カエサルをどう評価するかも興味深い論点です。モムゼン的な理解のもとでのカエサルは、混乱を収拾して君主政への一歩を踏み出した大政治家です。しかしハビヒトによれば、カエサルはローマの政体についての定見を持たず、ただ個人的な利害のためにルビコンを渡って混乱を引き起こし、そして自らの引き起こした混乱に乗じて権力を確立したに過ぎない(大人物ではあったが大政治家ではなかった)ということになります。う〜ん、難しいですね。
ただ、カエサルの存在の大きさとキケロの人間的な小ささが、キケロの目的追求の足かせとなってしまったことについては、ハビヒトも認めざるをえません。特に内戦時の奇怪な行動*2は、キケロからすれば理由あってのことだとしても、観察者(同時代人も我々を含む後世の人間も)を納得させうるものではありません。自らの立場を貫いてウティカで自害した小カトーと比較した場合に、変節者と謗られても、あるいは贔屓目に見ても政治家として「機」を読めなかったと非難されても仕方ないような気がします。
最晩年の栄光と挫折はドラマティックですね。若いオクタヴィアヌスを擁してアントニウス立ち向かうものの、第二回三頭政治の成立によりこの目論見は崩壊し、混乱の中でキケロも横死します。この際のキケロの一連の行動は、目的に向かって決然と一貫しているとして評価されているようです。でも遅いんですよね、目覚めるのが。まあ、第一回三頭政治から第二回三頭政治への歴史の流れの中では、キケロが生き残るチャンスは極めて小さかったんじゃないでしょうか。第一回三頭政治の前後に一貫した行動をとっていたらその時に既に暗殺されていたでしょうし、それによって歴史が変わったとも思われません。そうした時代に生まれてきてしまった不幸というのを、キケロも自覚していたようですし。
なおこの「政治家キケロ」はキケロの行動に的を絞っているため、背景となるローマの政治状況に関する説明が意図的に省かれているところがあります。でも高校の世界史程度の知識があれば楽しめますし、あるいは(立読みしただけですが)青柳正規ローマ帝国」(岩波ジュニア新書)あたりが参考書として最適だと思います。
ローマ帝国 (岩波ジュニア新書)


注釈

*1:現代的な目でみれば相対的なものでしょう。キケロの自由とは閥族派的な観点からの自由であって、主に貴族層の政治活動の自由・元老院における意見表明の自由を意味しているように思えるからです。もちろん元老院は市民から全く乖離した形では存在し得なかったのですから、市民の意見の政治への反映も限定的・間接的な形で保障されてくるわけですが。

*2:イタリア半島から脱出したポンペイウスに従わずに所領に残り、カエサルと会談後にポンペイウスの元に身を投じ、ファルサロスでの敗戦後にはあっさりとイタリアに帰還してしまいます。