ベルリン その5

 ようやく読了。これもねぇ・・・重いっす。
 ドイツがソ連侵攻時にしたことを考えると、ソ連兵による蛮行も理解できなくはないですけど。総力戦というものの必然なんでしょうか?
 締めくくりは

  • ソ連側の損耗率の異常な高さ、そして戦後の思想統制
  • ドイツ側高級士官の尋問からうかがえるナチズムに対する評価の曖昧さ

 大祖国戦争の一応の勝利によって戦前の大粛清の暗い影が一掃されるかと思いきや、スターリニズムの暗い嵐がより激しく迫ってきてシベリア送り続出、というのはやり切れませんね。外国の文化に触れてしまったというだけで再教育ですよ。ナンやねんそれ。それだけ自国のあり様・自分の指導力に自信がなかったってことでしょう。勝利の象徴であるジューコフ元帥は(フルシチョフ時代の一時期を除いて)実質自宅軟禁状態。最高指導者よりも目立っちゃいけないというわけです。まあこれはソ連のみならずどこの国でもあったことでしょうけど*1
 最後のナチズムに対する評価の問題ですが、アーヴィング「ヒトラーの戦争」でも捕虜になった将軍達の会話記録*2が引用されてましたよね。「ヒトラーの目指したことは間違ってはいなかった。手段が間違っていただけだ。」と。ビーヴァーは米軍の報告書を引用して、「結果が成功ならそれにいたる全てが正しいとし、結果が失敗なら間違いだったと評価する、という態度」が倫理的な観点*3の欠如を示すものであり、戦後ドイツ史に陰を落としているとしています。過去、それも暗い過去を振り返るというのは、これもどこの国でも難しいもんですわな。


注釈

*1:マッカーサーはこれで大統領への道を逃しましたね。アイゼンハワーは比較的控えめな態度だったんで大統領になれましたけど。まあこれは文民統制という文脈も関係するんで、ソ連と比較するのは乱暴ですが。ちなみに南北戦争時に南軍のリーが南部連邦大統領のジェファーソン・デイヴィスに疎まれていたせいで、作戦行動に制約が生じたなんてこともあったようです。目立っちゃいけないというのとは違いますが、「バトル・オブ・ブリテン」の際に戦闘機部隊の最高司令官として戦い抜いたダウディングが、チャーチルと衝突することが多かったせいで大戦中にはすでに退役させられて戦後も不遇だったというのがありますね。戦時の指導者ってのは独裁的じゃなきゃやってられんわけで、その意味ではチャーチルスターリンヒトラーと同じ穴の狢なんでしょう。ただ、チャーチルは最終的には議会制民主主義の枠内にあってそれを踏み越えることは無かった(総選挙で負けたらアッサリ退陣ですわ)わけで、それが大きな違いなんですよね。もっともこれはチャーチルの場合には民主主義への信頼というのではなくて、大英帝国の「国体」に対する忠誠心のあらわれと見るべきでしょう。

*2:リストとフォン・アルニム辺りでしたか。本が手元にないので正確に引用できません。

*3:そもそも現実の政治過程や戦略上の決定過程において倫理的観点がどれほどの意味を有しているのか、私には疑問ですが。