フランソワも

 クレンペラーマーラーに続いて、昨日も触れたフランソワの2枚組の選集を。
 1枚目の5曲目にショパンピアノ協奏曲第2番から、第2楽章ラルゲットが収録されているんですが、何と美しい!ルーブル美術館展の展示の中に「プシュケとアモル」を題材とする画が2つありまして、どちらも妖しい輝きを発していたんですが、あれを思い出しました。
 マーラーは余韻に浸る悦び、いや、悦びではなく哀しみというか、何かこう音は消え去っても音楽はいつまでも残るみたいな感じがあります(わけがわかりませんね)。でも、フランソワのショパンは、この美しい響きの中に永久に身を浸していたい、そういう欲求を抱かせます。音楽に終わりのあるのが惜しい、悔しい。バッハのフーガ(各種)を聴いているときに同じような気持ちになることがあるのですが・・・
 ここで欲求に負けてCDでそのトラックをリピートしてしまっては駄目なんですよね。こういう音楽は繰返し聴いちゃいけない。心の中に生じた美しさが破壊されてしまいます。身悶えしつつも、一瞬の内に過去の思い出になった音楽を心の中で大事にとっておかなければいけない。そんな気がします。・・・ってこう書くと何だかマゾヒスティックで嫌ですね。


 ああ、ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」も・・・