悩みを抱く者たちは幸いである

 今日も疲れた〜げふ〜って就寝態勢ですが、考えたら明日の朝生きている保障はないわけでして。そのまま目覚めないなんてこともありうるわけです。そんなこと普段は全然意識しませんけど。
 死は(たとえ長い患いの果てであっても)突然訪れて、全ては闇に閉ざされるのですね。若い頃はそれが単純に恐ろしく思えました。ようやく最近になって、それを受け入れる気持ちが3分の1ほどにはなったように感じます。大人になって感覚が鈍磨したのでしょうか。でもやはり、自分の意識が永久に失われるというのは、これほど恐ろしいことはないように思えます。


 こんなことを考えながら、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮のウィーンフィルによるブラームスドイツ・レクイエム」(ドイツ語によるレクイエム)を聴いています。
 

ブラームス:ドイツ・レクイエム

ブラームス:ドイツ・レクイエム

(私、その、アフィリエイトはてなを儲けさせようとか、そんなんではなく、単にジャケット写真を探したり撮ったり詳しいクレジットを書いたりするのが面倒なんでアマゾンのこういうのを入れてるので、これのようにジャケット写真が「?」になっちゃってるのは一寸困るんですが・・・)


 ジュリーニ指揮のこの演奏は、たしかカール・ベームを偲ぶ演奏会のライブ*1ということだったと思います。名目はともかく、例によって遅めのテンポのズッシリとした演奏で、しかも角張っていない丸さがあります。こういう点を嫌う方がいるのは尤もなのですし、私自身こうした「前に進んでいかない」演奏は好きではないのですが、これとベームモーツアルト「レクイエム」に限っては、これを認めてしまうのです。「歌」ではなくて生と死の問題であって、そこでは(チェリビダッケではありませんが)音楽を時間とは異なる次元で捉えるべきなのでしょう。第1曲「悩みを抱く者たちは幸いである」のハープが何とマーラー的に響くことか!しかもマーラーにはないブラームス的な(人間の情念の)重さと暗さを伴って・・・


 ブラームスは「救い」を表現したかったのでしょう。しかし、私にとっては、聴いているだけでエネルギーを吸い取られるような音楽です。


 ちなみにオットー・クレンペラー指揮ウィーンフィルのライブBOX8枚組の中にもこのドイツ語によるレクイエムが入っています。他は1968年の演奏ですが、このドイツ・レクイエムは1958年ですね。これについてはまた別に書くことにしましょう。

*1:といっても没後何年という区切りではなく1987年録音とクレジットされていますが。詳しい経緯は調べていません。