夏休みの宿題

 ビル・ネイピアの二作品の感想文。

ペトロシアンの方程式〈上〉 (新潮文庫)

ペトロシアンの方程式〈上〉 (新潮文庫)

ペトロシアンの方程式〈下〉 (新潮文庫)

ペトロシアンの方程式〈下〉 (新潮文庫)

 「ペトロシアンの方程式」
聖なる暗号 (ハヤカワ文庫NV)

聖なる暗号 (ハヤカワ文庫NV)

 「聖なる暗号」

 両作品とも、基本構成は全くと言ってよいほど同じ。

  • 余計なプロローグがくっついている。はっきり言って不要。
  • 主人公は他者から依頼されて怪しいドキュメントに関わることになる。
  • そのドキュメントは簡単には読めない言語で書かれている。「ペトロシアン」ではアルメニア語の日記、「聖なる暗号」では特殊な速記法・暗号法で書かれた近世英語。
  • 暴力的な手段に訴えてでもドキュメントを欲しがる怪しい人たちが現れる。
  • 主人公は怪しい人たちに対抗してドキュメントを解読して「秘密」を入手するため(そう考えるに至る動機は両作品で異なるが、主人公の思考形態は一緒)、「旅の仲間達」を組織し、ドキュメントを読み解きながら世界各地へ探索の旅に出る。
  • もちろん「旅の仲間達」にはアルメニア人の別嬪留学生や近世英語が専門の別嬪学者が含まれている。
  • その「旅の仲間達」の中にも怪しい行動をとる者が出てきて主人公は疑心暗鬼に。
  • ドキュメント自体は結局のところ「秘密」そのものへの目印は含まず、それが暗示する別のドキュメントに「秘密」のありか又は「秘密」そのものが記されている。

 ちなみにこれらはシリーズ物じゃありませんし、主人公も全く違います。もちろん細部は異なります。また、物語の背景として、「ペトロシアン」では核兵器開発、冷戦、マッカーシズム、「聖なる暗号」では新大陸征服、暦、宗教対立と、興味深いテーマが散りばめられてもいます。でも、二つ続けて読むと、「結局同じじゃん」と。
 以前ダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」と「天使と悪魔」が構造において同じだと書きましたが、それより酷い。もう少し工夫のしようがなかったのでしょうかね。多作の作家にお気に入りの設定があってもそれ自体悪いことじゃありません。上で「カー好み」なんて書きましたけど、カーの場合には類似の設定に乗せてくるトリックや細部が違うから楽しいんです(贔屓目かもしれませんが)。ネイピアのように、「ああ、大体こんな流れか」とサスペンスの緊張感を殺ぐような仕方で、つまりはサスペンスがサスペンスにならなくなるような仕方で、あまりに安易に同じような設定を使うのはどうなのでしょうね。


 もう一点、両作品とも、(軽くネタバレかもしれんけど)最後に悪役達がバッタバッタと薙ぎ倒されるのですが、その大量殺戮シーンがブラディでありながら奇妙に冷たい描写で、物語全体から浮き上がってしまっているような感じがします。例えばダン・ブラウンもブラディですが、ブラウンでは殺人が物語に調和しているという印象があります。「ブラディでありながらノーブル」とまでは言いませんが。ネイピアの場合は、高度に文化的な背景に、極めて非文化的な殺戮が描かれるので、違和感大。著者とは別の人が書いてるのか、誰かが軍事・警察アドバイザーになってるのか、あるいは著者の中のドス黒い部分が噴出しているのか。


 そうそう、最後にもう一つ。上で「世界各地へ探索の旅に」と書きました。「聖なる暗号」ではイギリスからジャマイカに行くだけなんですが、「ペトロシアン」では・・・ええと・・・デンマーク沖(ここで文書が発見される)、スコットランドアメリカ、ギリシャ、イギリス、アルメニア、ドイツ、日本、スイスと、まあ慌しいこと。日本のシーンはちゃんと取材したか、学会か何かで行ったことがあるか*1でしょうね、地理的な事柄とか表面的な描写はまあ合格点です。しかし、主人公が闇組織のボス(「友愛組組長」だそうです)の本拠(琵琶湖の東の丘陵地帯にあるそうです)に乗り込んで、一緒に風呂に入りながら仮の同盟を結ぶくだりとか、何とも言えない味わいです。ボディチェックも兼ねてイキナリ組長と2人でお風呂ってのは・・・


 こんな感じで、その後、ブックオフの100円コーナーで同じ著者の「天空の劫罰」を見かけましたが、とても手が伸びませんでした。

*1:主人公の京都でのお宿「芝蘭会館」は、ネットで見る限り、京大医学部の関連施設で、一般的な宿泊はできないんじゃないかな。著者のネイピアは天文学者だから天文学関係の学会か何かの機会に利用したんじゃないかな。