001ハイドン第45番

 年度も改まったことだし、今年の目標のその3として立てた*1、私の原点(?)に立ち返って「諸井誠『交響曲名曲名盤100』(音楽之友社・1979年)を元に交響曲を聴く」というのを初めてみましょう。目標は1週1曲。本の並びに従って。準備作業として、所有CDのリストを作り始めたところ、案の定酷く偏っているのが確認されつつあります。演奏者ではカール・ベーム、バルビローリ、ジュリーニ。1980年代以降のモダン・オケによる演奏はジュリーニのもの以外はほとんどなく、むしろ古楽オケですね。作曲家では(これは私自身少々意外だったのですが)ベートーヴェンではなく、ブルックナーマーラーでもなく、シューベルトのCD密度が高そう。不健全なのか健全なのか。
 手持ちのCD全部を聞き比べて感想を書くなんてことはできそうもありませんから、1曲につき1〜2種の演奏に触れるだけになりそうです。


 ということで、最初はハイドンの第45番。ニックネームの「Abschied」は「告別」と訳されることが多いけど、今日的な語感だと何だか凄く深刻なことになってしまいそう。本でも紹介されているこの曲の成立の有名なエピソードに照らせば「お別れ」くらいが妥当かも*2
 交響曲へのお誘いの本が「告別」で始まるのは逆説的な洒落であろうし、本の冒頭「著者からのメッセージ」に掲げられた「交響曲王国滅亡の原因」を探るという著者自身の目的意識に照らせば、終楽章の長大なコーダといった破格を特徴とする第45番は、形式と破格のせめぎ合いの歴史を語り始める切欠としては誠に妥当なものなのかもしれません。


 挙げられている演奏は、ドラティ=フォルハーモニア・フンガリカを筆頭に、ザンデルリンクドレスデン・シュターツカペレ、G.アルマン=トゥールーズ室内O、メニューイン=バース音楽祭O、それからモノラルでミュンヒンガー=シュツットガルト室内Oというところ。
 私が所有しているのは、以下のとおり。

  1. ドラティ=フィルハーモニア・フンガリカ(1971年録音・Decca)
  2. ブリュッヘンOrchestra of the Age of Enlightenment啓蒙思想期オーケストラ)(1997年録音・Philips
  3. インマゼールアニマ・エテルナ(2003年録音・ZigZag)

 1は1992年にキングから出たCDで、第48番と第49番がカップリングされています。モロに諸井本の影響で買いました。全集には流石に手が出ませんでした。今ならアダム・フィッシャー指揮の交響曲全集が容易に入手できるようです。比較できればおもしろいのでしょう。が、ああいうのは持ってるだけで安心してしまって却って聴かないような気がするので、残念ながら手を出してません。もっと歳をとって隠居することができたら、ゆっくりと聴いてみたいものです。
 ドラティの演奏は、ピリオド・アプローチを経験してしまった我々からすると、重く、浪漫的な、過去の演奏様式なのかもしれません。しかし、それでも、ある程度の厚みのある魅力的な響きをもった小さな編成のモダンオーケストラが、早めのテンポと歯切れのよいアーティキュレーションで(ピリオドオケには及ばないとしても颯爽と奏でるハイドンは、十分に新鮮で且つ「みやび」で「あはれ」です。ロココの名残を感じる古典、などと訳の分からない評論用語を使ってみたくなりますね。まあ、そんな変な言葉で説明しなくても、時折のぞく途方もなく寂しい表情(第2楽章もそうだけど特に第3楽章!・・・失われた何かを恋い焦がれるような)は、例えばインマゼールのようなやり方では出せないものであって、それだけでもドラティ盤を聴き続ける理由があろうというものです。
 私の中で、ドラティは硬質で角張った音楽を作る人だという印象が一方にあります。特に1950年代から60年代にかけてのマーキュリーへの録音とか。他方で、このハイドンの滑らかなこと。決して軟弱というのではありませんが、滑らかでしなやか。硬いという印象ではありません。少し後の、Deccaへのデトロイト交響楽団との録音(特にバルトークストラヴィンスキー)の肌触りはまた違うのですが。単なる録音時期による違いではなく、ドラティという指揮者の技の多彩さなのだろうと思います。


 さて、私のCD棚は、ドラティから25〜30年タイムワープして、ブリュッヘン、そしてインマゼールというピリオド楽器=歴史再現系の演奏へ。諸井本がカバーしていない領域です。このうちインマゼールは、1772年当時のエステルハージ公の楽団の規模と終楽章の特にコーダの編成から導き出した、第1Vn=2、第2Vn=2、Va=1、Vc=1、Cb=1、Ob=2、Fg=1、Hn=2の計12名という、ほとんど室内楽アンサンブル規模の編成での演奏*3。我々が考えてきた「オーケストラ」「交響曲」のイメージとはかけ離れていますが、その響きは暖かく且つ澄んでいて、感動的ですらあります。コンサートホールの音楽ではなく、プライベートな空間の音楽。オーディオ装置のおかげで、貴族ではないのに貴族の館にいるかのような妄想の世界に入り込むことができます。

*1:id:makinohashira:20080309

*2:ハイドンの研究書などに目を通したわけではないので、このエピソードが現実なのかどうか私は知らないけど、曲の中身とはぴったり整合していて説得的ではあるように思います。

*3:カップリングの第44番は1771年前後の作曲とされていますが、こちらは第45番との対比のために、あえて1780年前後の編成(22〜24名)で演奏したとCD付属のリーフレットに書かれています。