ゴダード小休止

 ロバート・ゴダードの「悠久の窓」は昨年末の内に読み終え、今は小休止状態です。って100円コーナーに見あたらないだけなんですが。
 「悠久の窓」は、何が起こっているのか・次に何が起こるのか・動機は何なのか、よく解らないままに読み終えてしまいました。「タントリス」には含意はなかったものの、話はロードス騎士団と十字軍、そして聖杯伝説へとつながって、何だかダン・ブラウンの「ダヴィンチ・コード」的に・・・でも、「ダヴィンチ・コード」では主人公達の行動のその時その時の動機付け(このパズルを解いて、次はここ)は明確なのに対して、ゴダードの「悠久の窓」ではそれがよくわかりません。「ヴェネツィアに行けば何か判るに違いない」みたいな話に乗っかって行くしかないのです。で、主人公の父が守ろうとした秘密はちゃんと最後に明かされるのですが、非キリスト教徒である私には、その重大性が今ひとつピンと来ません。
 非常に我が儘ですね。わかり易ければ文句をつけ、わかり難くても文句をつける。ゴダード作品をさほど読み込んでいない段階で言うのはなんですが、最近の作品よりも初期の作品の方が濃い味わいがあって面白いような気がします。例えば「リオノーラの肖像」なんか、謎に対する答えは見破りやすいけど、背景や登場人物の造形と感情の揺れなど、非常に面白く余韻のある作品です。作品とは関係ありませんが、何故第二次世界大戦直前にネヴィル・チェンバレンの宥和政策が一時的にしろ支持されたのか、それは第一次世界大戦の傷跡が余りにも深かったからではないのか、そんなことにも思いを致してしまいます。
 もちろん、「悠久の窓」もかなりのスピードで最後まで読み切ってしまいましたので、読ませる力という点では十分なものがあるのでしょうけれど。