ウィーンのマーラー

 オットー・クレンペラーウィーン・フィルのボックスセット、売れてるらしいですね。日本だけで(というか元々日本向けの企画だったとか?)5,000セットだそうで。


クレンペラーとの対話 ピーターヘイワース編

クレンペラーとの対話 ピーターヘイワース編

 白水社から翻訳が出ているヘイワース「クレンペラーとの対話」を読んでいたら、この1968年のウィーンフィルとの演奏に触れた部分があって、曰く「ブルックナーの5番は素晴らしかったが、マーラーはいまひとつだった。」だそうです。確かに、マーラーの9番、終楽章は死ぬほど美しいのですが、第3楽章まではいま一つ流れに乗り切れないもどかしさがあります。で、クレンペラーはその原因を、ウィーン人が未だ(1968年当時ですが)にマーラーを受け入れておらず、オーケストラから心理的な反発があったからだ、みたいに言っています。今ではマーラーなんて当たり前のように演奏されますけど(というと言い過ぎか)、40年前はそんな感じだったんですね。サー・ジョン・バルビローリベルリン・フィルマーラーを「布教」したのも1960年代でしたか。クレンペラーブルーノ・ワルター(ヴァルター)、バルビローリ、ホーレンシュタイン、そしてバーンスタインといった人たちの努力があって、今日のマーラーがあるというわけです。もちろん前提としてマーラーの音楽に他に無い魅力があることは言うまでもないのですが。